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さてタイトル。これは翻訳すると
何も真実ではない すべて許されている。です。真実はない。じゃなく何も真実ではない。です。
山の老人の言葉ですが、混沌魔術師の信条、信仰の1つの言葉です。どう解釈するか?は哲学的に考える方もいますが混沌魔術師がそのままの哲学を考えることはないと思います。混沌魔術入門にも書きましたが、意味通りとらえるニヒリストがIOTにはいましたが、9・11の時全団員はすべて許されているを考慮しなかったようです。
これは混沌魔術師の自由性を意味することです。そして究極的真実というものはない。というのが、「何も真実ではない。」を示しています。しかしこれはあくまでも思考、心理のとらえかたです。究極的真実があるとすればそれは仏陀が述べている老いる。苦しむ。病む。死ぬ。でありこれが真実ではない!!といえる混沌魔術師が誕生するまで200~1000年かかると思います。
では、よくあることを1例に。結婚している。伴侶が浮気している。ショックだ。
これを何も真実じゃないんだ。すべて許されているんだから浮気はいいことなんだ。これは道徳の話であって、そして違います。浮気しているというのは真実です。すべて許されているのはその人の考え方次第でしょう。
これがまかり通るとこの世界犯罪だらけになりますので、混沌魔術師であるならばよく考えて自分のドグマを整理するために思い出すべきです。
勿論、例えば今体重がすごいある。BIMからみて太りすぎだ。何も真実じゃないんだしすべて許されているんだから現状維持でOK。それは個人の自由ですが加齢とともに病気の温床になることを真実として受け止め、放置しているのであればそれは豚小屋の豚でしかありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。