水の意義

ようそろ~お越しくださいました。

昨日はロウソクがほとんどの宗教に使われるもので象徴の話まではしませんでしたが、もう1つ仏教、ヒンズー教、儒教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、神道、そして魔術で使われているものは水です。

主に浄化という行為を行うために水を使うか?洗礼(これもまぁ浄化なんでしょう)というイニシエーションに使うのか?です。魔術でも浄化の為に使用することが多いようです。何故水なんでしょう?ということを混沌の騎士団で議論していますが、多くの方々が生命維持、生活に必要不可欠なものが水だから。ということを述べています。しかし宗教的に、魔術的に考えて世俗を超えた者、人間を超えた存在が果たして水を欲しがるでしょうか?そちらの世界には水がないのでしょうか?という話になってしまいます。

世界は神が創造したとして考えられています。その中に水というものがあり、聖水になったり浄化をする媒介になったりしていますし、沐浴という身を清める行為にも水は使われています。魔術では稀に魔術道具を水で浄化することがあります。

黒野が葬儀社の派遣をしてた頃、ある1社の葬儀社さんがご遺族の方に「痛みのない世界、お薬ももう飲まないでよい浄土に。」とスピーチして火葬に。また昨今は多くの葬儀社の方が同じようなことを述べています。

痛みも苦しみも治療する薬も飲まないでよい身分になるということです。しかしじゃあなんでご仏前に水を備えるんでしょうか?

昔蛇口をひねれば水が!という時代ではなく、井戸まで徒歩1時間とか2時間というところに住む方々や、昔の伊勢神宮のように子供が水を汲む時代であるならば、仏前や亡くなったかたみ水を供物として備えるのは分かる気がします宇。しかし今水なんか名水!ですら気軽に購入できる時代ですし、蛇口をひねれば水がジャバジャバでる時代、まさか天国に水がないということはないと思います。しかし仏壇に水を備える方々は多いと思います。水じゃなくてお茶とか備えるのであればまぁ何となく故人の好きだった物としての供物なんだろうな~と思いますが、水です。闘病生活でお亡くなりになった方は常に輸液で水が与えられてるわけで珍しくも有り難くもないと思います。

仮に魔術師が法衣に着替える前に沐浴し簡素な祈りを唱え法衣に着替えるとか、水を撒く時何かしらの意図を込めた言葉で場所を浄化するというのであればそれは浄化行為という魔術の準備段階なのでしょう。しかし神や女神に水をお供えすることはまずないと思いますし、西洋の宗教で水は使うものであって神々への感謝の為に使用するものではないと思います。

皆さんのお家に何か祀ってあるとしてそこに水が備えられているその時何故水を供物として備えるのか?ぜひ考えてみてください。天国は日照りではないと思いますし、本当に供物として備えるべきなのだろうか?ということです。たかが水を。どこでもあるし生きる上に必要な最低限必要なものだからという理由は人間を超えた存在にとっては必要ではないと思います。そもそも人間じゃないのですから。

魔術的な利用は新刊にて。

シマギイー ユミフィーサマイ スディガフー!!