物は言いよう

9月21日は72人の方々が黒野忍のブログを過疎らないように巡回してくださいました。

ありがとーありがとーです。

混沌魔術師に必要な事って何でしょうか?今世界で問題になっているのはインターネットの普及により混沌魔術を「学ぶ」のではなく「調べる」事に傾いている事や情報をシェアーするという事で混沌魔術という少数派の遊びになり果てているという事です。インスタグラムをしてる方は3年前までなかった言葉Sigilistのハッシュタグを見てみれば解ると思いますが、正直カッコイイ印形を書ければいいみたいな流れもあります。ちなみにこれシンメトリーな印形は別の魔術で紹介されていますので別に混沌魔術師がSigilistなんて言わなくてもいいですしその人のデザインの印形を使って何かできるならば元祖のA・O・スペアの印形を活性化出来るという理論になるので、「虎のカルマを得ることだ。」はスペアの印形を使えば出来るという事ですがそんなわけないので、Sigilist=イラレで印形をトレース出来る人程度位しか黒野は考えてないしそのSigilistが使うのっておおよそがオウラノス言語なのでぜんっぜん斬新じゃないです。それはネットで得れたシンボルをわざわざイラレでトレースした暇人だと黒野は思います。

後スペアの哲学自体に大きく影響を与えたのはフロイトやタオイズムであって稀にオマールハイヤームのルバイヤートと比較されますが別思想でしょう。後混迷した研究家が、以前もブログでお伝えしましたが、死の姿勢が座って行う事が神道の神主の座ってる写真と並べて日本に影響されてるとか、絵の構図が 歌川国芳の相馬の古内裏と似てるとか言ってますが、流石にそれは無理があるだろと思います。 20歳の時の作品。快楽の書にはエリ―という女性が大きく影響し、何故か?スペアと言えば快楽の書を持ち出しますが、ゾスの呪いとか、生命の焦点を読めば解りますが快楽の書と全く矛盾する事ばかり述べてます。勿論これは矛盾ではなく思想の変化だとすればスペアはそれはそれでいいと思います。皆さんとーぜんご存知だと思いますが、スペアの処女作品は17歳に書いた地上の地獄です。でケネスグランドによればスペアは10歳の頃魔女から魔術を習ったとされていますが、それはほぼほぼ架空設定でしょう。何故なら17歳の処女作、次に欲望のアルファベットが登場する半獣神の書で「魔女」なんて出てこないし20歳の快楽の書ですら魔女は出てこない。今でいうウイッカ宗教とスペアの言う魔女は全く違い、スペアの言う魔女と言うのはそれこそ中世の魔女狩りを乗り越えた魔女であって、「スペアの前で老婆が美人になる。」この芸当をやってのける謎の存在であって多分、魔術師とかそういう呼び名を初期嫌うスペアが目を付けたのが中世の魔女であって、まあいいと思いすよ。スペアにとって魔女と言うのは不思議な存在であり箒に乗って空は飛ばないけど、全裸で集って何か太古の魔術を行う老婆です。そんな絵が沢山残されています。

ちなみに黒野、味わうべき言葉だなぁと思ったのは黒野の魔術の師が述べた「我以外皆我之師」そのままです。自分以外全てが自分の師。謙虚な言葉であると同時に学ぶことを止めてはいけないという言葉です。

今日の1曲を選曲します。MINMIさんの四季ノ唄です。聴いてください。

MINMI – Shiki No Uta (Tribute to Samurai Champloo) Official Music Video

最後までお読みいただきありがとうございました。

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