座敷童Vs黒野

ようそろ~お越しくださいました。

この記事の続きです。

次の日、地元の郷土を研究している方の家に行って座敷童について聞いてみました。最初は

「幸福を呼ぶ子供のお化けでしょ?」

という反応でしたが事情を説明ました。

「お兄さんお茶冷めちゃってるね~入れなおすよ。」

いや

「すみません。僕日本茶を飲むと胃がむかむかするんでお水を頂けませんか?」

ソフトな言い方なんですが黒野、日本茶飲めません!気持ち悪くなるんです。後中国茶も同じく。

お水を頂きまして話を続けていると

「ちょっと待ってて。」

といっいて郷土研究が趣味の50歳のおじいさんが、どこかに。そして帰ってくるとコンテナボックスを持ってきました。中身は透けて見えており紙を閉じだものでした。

そしてコンテナボックスを開けるとそれが何かを記して帳簿のようで○○〇帳とか○○○供養等書かれていました。

それをおじさんが僕らに見せながら話してくださいました。何が書いてあるかは達筆は書体なので読んでいただかないと黒野には解らないのですが

この村は江戸時代前~明治時代初期まで家族が増えたとか障害のある赤ちゃんが生まれたら、餅つき臼を逆さにして座敷や、地面を掘りそこに赤ちゃんを落とし臼で圧死させ土葬するという風習が行われていたと。

そしてこのことはお役人も見て見ぬふりをしていたとのことでこの県のこの地域のいう座敷童というのは全部が、そういう惨い最後を意図的にした子供のなりの果てということだとおじさんが教えてくれました。なんというかです。

今ならそんなことは完全な犯罪です。しかし江戸時代前にこの悪しき風習があり、それは好きでしてたことではなく、集落の皆さんの苦渋の決断だったと思います。

おじさんが帳簿をめくっていると、

「あんたのとこも座敷童いたようだよ。」

このおじさんだいだいこの集落の村長さんでこうしたことを暗号で帳簿に書いていたようです。まあ暗号と言っても難しいものでないでそうですが。

依頼者の方が

「改装工事した時結構ほったけど何も出てこなかったです。」

すると郷土研究のおじさんが

「あんたのとこは信心深くなんか石のお地蔵さんと一緒にしたって書いてあるよ。地蔵は腐らないからあるはずだよ。」

黒野はだいたい把握出来ました。

座敷牢がある時点でおかしいというかすごいというかです。

後味が悪いので他の研究についても色々お伺いし家に戻りました。

「すみません。こないだいった座敷牢がある蔵あれ、なんで座敷牢があるがご存じの方今いらっしゃるんですか?」

「いや。じいさん、ばあさんも知らないと。」

家に戻り座敷牢をよくよく見せてもらいました。6畳のスペースに牢。畳がひいてあるわけで畳をどかすと石版でした。

皆さんの前で黒野の予測をお話しました。

「座敷牢の下に子供のご遺体が多分、お地蔵さんで圧死させて埋まっているんだと思います。また寒村地帯で土葬しても稀にご遺体が残っていることがあります。即身仏の多くが寒い地域からです。勿論即身仏は掘りだされてるわけで分解はされていませんが、ご遺骨くらいは残っているんだろうと思います。」

その夜もまたズーンと1回揺れバタバタと走る音が。黒野は家ではなくご主人と座敷牢のある蔵に向かいました。

蔵のドアを開けると座敷牢ががたがたと音をたてていました。ご主人怖さのあまりに黒野にしがみつきましたが、持ってきてあった印を死の姿勢で活性化しました。その印は先祖返り発見の印です。別に何か発見するために使うのではなく、アイデアの発見なのに本来使う先祖返りの印です。

活性化し死の姿勢の瞬間、座敷牢にお地蔵さんが見えました。やはり・・・

そして黒野は大天使を視覚化しない、使用しない小さい五芒星の儀式を行いました。するとがたがたする音は終わりうご主人と黒野は子供、といっても赤ちゃんではない。

「痛い!」

というこえを確かに聞きました。

そして家に戻り結果をお話し黒野は蔵の座敷牢の下を掘ってみることを強く勧めて、もしご遺体とかお地蔵さんが見つかったら菩提寺に供養してもらってください。と述べました。

寝ないまま東京に戻る朝を迎えました。

東京に戻る3週間後、座敷牢の下をほったと電話がありました。見つかったものは、石の地蔵と遺骨だったそうです。警察に連絡し遺骨は鑑定に回されたと。また菩提寺に早速供養してもらうと。

2か月後、警察の鑑定が終わる事件性が(今生きている方が関与した事件性がない)ということが伝えられご遺骨は返却。なお骨の形状から6~10歳くらいの女の子だったそうです。

座敷童がこういう悲しい歴史の中作られたというのは昨今本で発表されています。全部の座敷童がそういう事ではないとおもいますし、座敷童が悪霊という話もよく聞きます。沖縄にも心が綺麗な方しか見えないキジムナーという精霊が存在し、水木しげる先生のおかげでキジムナーは幸運をもたらす存在として認識されてますが、(座敷童も水木しげる先生のおかげで幸せを呼ぶ存在という1つのパターンが有名)キジムナーは、片目を欲しがりキジムナーと遭遇した方々は目をよこせと言われたり、次の日釣りに出ると、片目しかない魚が釣れたり決して良い存在ではないと思います。

なお座敷童を意図的に作ったその昔、それは悪ではないと思います。医学も発達していない、精神疾患があれば座敷牢という時代が日本にはあったわけです。喜んでやっていることはないと思います。むしろ苦渋の選択でしかたなく行っていたのだろうと思います。

シマギイー ユミフィーサマイ スディガフー!!