首なし地蔵軍

ようそろ~お越しくださいました。

9月2日は88名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。

ありがとーありがとーです。

東京都から少し離れた関東にはたくさんの鍾乳洞があります。洞窟も現在では入れない(落盤の恐れあり)等もあります。黒野が言ってみた鍾乳洞+洞窟は途中行くな!!とか書かれている洞窟ですが、何故この洞窟に行きたくなったか?それは洞窟の祭事や信仰を調べてたのですが、まあ有名なのは沖縄県のガマです。ガマ自体即集団自決と思われる方が多いかもしれませんが、そもそもガマは風葬に使われたことが多くそして同時に祭事の場所としても機能したようです。

さて黒野がいった洞窟+鍾乳洞。行くな!!とか書かれている心霊スポットです。タクシードライバーさんの話では、洞窟で女性や男性の幽霊が出るとのこと。本当にいかないほうがいいですよ。と。

黒野自身虫以外なら問題ないのでタクシードライバーさんに道があるところまで行って、そこから歩いていきました林道を。ひたすら毛虫いないかな?と恐れながら。途中でお地蔵さんが。。しかし顔がない。顔だけ何かで削られた後がありました。それから進んでいくと沢山のお地蔵さんが飾られてましたが、全部首がない。いつ安置されたのか見たら安政吉日です。お地蔵さん全部で37安置されてましたがすべてに首がとられていました。

苔がついている首なし地蔵軍団。誰かの悪ふざけにしてもひどいことをするなと思いました。しかしなんでこんなところにお地蔵さんが安置されてるのか?という疑問もありましたがとにかく洞窟に進みました。

洞窟自体は暗くライトをもって入らないといけませんでした。後雨水等が溜まっているところもありましたが進めるところまで進んでみました。

別に幽霊が出たというわけもなく、ただ単に洞窟でした。1時間洞窟を調べていると途中、洞窟の左右の壁が小さく削られていることが分かりました。これはおそらく戦時中、防空壕にも使われたと思われるもので、壁を削りそこにロウソクを置いて灯したのだろうと思います。十分調査できたので帰ろうと思い道を引き返しました。

首なし地蔵軍を過ぎてタクシードライバーのもとに行くとタクシードライバーさんが幽霊を見たと。

なんでも黒野の後ろに女性の軍服姿の男性が見えて驚いた。と。

そして博物館に行き洞窟について博物館の方に聞くとやはり過去防空壕として使われていたと。またそもそも地蔵さんがたってたのは昔からそこが修行の場所で最初は1体だったが増えていったとのこと。黒野が見た安政吉日は比較的新しいものだということです。まあ他の地蔵さんはいつ安置か?読めなかったのもありますが博物館の方はもともとは岩の神様信仰があって後に地蔵さんが置かれていったと。でやはり戦時中は防空壕としても使われたと。ただ信仰の中心となるだろう岩自体は戦時中日本軍が退けてどっかに捨てたそうです。

そしてびっくりしたのが、首なし地蔵軍は、第2次世界前にいくつかあったそうでなんでも昔江戸時代では地蔵さんの首を持つことで博打の運があがるとか信じられていたそうで。修復せずそのまま放置してあるそうです。

ただ洞窟にいたる前にあった顔を削られた地蔵に関してもっと悲惨な話が。

江戸時代の天保飢饉で神頼みしたけど全くや雨など降らず、ましてやそこで祈願してた祈祷師を住民が殺害し神頼みなど二度とするか!として地蔵さんの顔を削ったそうです。殺害した住民達は飢饉で亡くなったそうです。

幽霊が出る噂は昔からあるそうで、それこそ祈祷師の祟りがあるとか色々時代共に変わってきたそうです。

飢饉は人の心まで蝕み、戦争も同じく心まで蝕むものです。

明日は時計について。

最後までお読みいただきありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。