ようそろ~お越しくださいました。
9月7日は180名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。
ありがとーありがとーです。
この記事はおおよそ2分で読めます。アストラルの練習の続きです
アストラルを締めくくり最後のテーマは
高次アストラルと低次アストラルってあるの?です。黒野は黒の書でない。と書いています。
ただ一般的な魔術思想としてこう考えるかもしれません。高次アストラルは集合的無意識/低次アストラルは個人の無意識。
こう考え信じれば高次元と低次元のアストラルが作られると思います。何が違うのか?
まず個人の無意識が低次アストラルなのですから、個人の問題を様々抱えていると思います。この様々は問題の多くが執着であったり個人の怒りであったり個人の心を落とすような心配事だと思います。このドロドロな領域を低次アストラルとすればそこに利用価値はあまりないと思いますし、昭和の権威がいう人工精霊の出どころはこのドロドロした低次アストラルの中からです。ただ先に書いちゃうと人間です。当然ながら後悔して生きている人もいますし、精神的につらい方もいるでしょうし、働いていれば気に障ることもあると思います。この人間性を全部が全部低次アストラルになってしまうのでじゃあ人間ってどうしようもない生き物(事実そうなのかもしれません)なので願望全部、それが人生を生きる故のことだとしても高尚な魔術師から見れば低次元なことということになります。
上記の思想は黄金の夜明け団やクロウリーのアイデアに見受けられます。ただ黒野はこのアイデアは採用していいません。
人間ですからどんだけがんばっても人間です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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