知られざるオースティンオスマンスペア

ようそろ~お越しくださいました。

7月18日は203名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。

ありがとーありがとーです。

さて、今電話待ちです。そしてみんな+神様ありがとう!!勝ちました!!

そして著作権侵害にならないように、黒野が知りうる現時点での日本ではなぜか紹介されていないオースティン・オスマン・スペアの情報を書いておこうと思います。情報源はZos Speaks!!です。(絶版)過去書いた話も混ざります。

まずスペアは4人兄弟であって姉妹が幼いスペアの芸術的な才能を認めていたそうです。

そしてスペアは孤独死ではない。ということです。面倒を見ていたボランティアの婦人がおり、その方がスペアが逝去してるのを発見しています。当然ながら面倒を見てたわけですから毎日会っていたと思います。

さて芸術家としてのスペアは「学生に教えていた。」経歴があります。これが大学でなのか?それとも個人レッスンなのか?は教育機関で教えています。個人レッスンではないということです。またスペアはヘビースモーカーだったので、たばこに箱の裏に、絵を描くとか、紙あれば絵を描くということをしています。しかしながら、スペアの個展というのは大半がステファニー・グランド&ケネス・グランドで行われており、個展のカタログをステファニー・グランドが手掛けています(これ今売ってたら数千万の値段が付くでしょうね。)またスペアは20歳結婚しており、その時の話は、ア・ミューズ・オースティン・オスマン・スペアで語られています軽く。快楽の書のデッサンモデルが当時の奥さんです。

またスペアは自分のことをZOSと述べているのですが、例えばステファニーに「明日あえる日を楽しみにしてます。ZOS」とか「ZOS 今バーで飲んでます。」という気軽な感じで使用しており、決してZOS・KIAカルトみたいな仰々しいことになってません。ちなみに好んで飲んでいたのは薄めたビールです。勿論お会計はケネスグランドらです。

またWikipediaでクロウリーの団体に所属していたということが書かれていますが、3=8の位階プラクティクカスであったことをグランドが明かしています。残念ながら法衣が買えないという理由でクロウリーから離脱したわけではなく、クロウリーの思想が嫌いであった特にセレマが。とスペア本人がグランドに述べています。そしてスペアは法の書が気に食わないので「自分が法の書を書く。」とグランドやステファニーに断言し着手しています。おそらくそれが、ZOSの生ける奥義書でしょう。

スペアは45歳までSEXのことしか考えなかったそうです。そしてクロウリーとは全く異なる性魔術体系を作り始めます。大活躍したのが、円の直径9cmの日本の壺だそうです。そしてけしからんことに(笑)グランドの奥さんのステファニーをおかずにしていたことをどうどうと本人に暴露しています。舌使いを想像したと。

またスペアの卓越している魔術現象が雪で遭難しそうだから、山小屋を物質化しかつ、ワインをくれる老人までも物質化して友人と雪遭難を防いだというところです。おそらくこれはスペアの虚無の魔術なのだろうと思います。雪が収まり友人とスペアは山小屋を探すのですがそこには2人が乗ってきた馬車しかなく友人共に困惑したとグランドに語っています。

日本では1987年、国書刊行会発行のアレスタークロウリーと蘇る秘神。ここでスペアの情報は止まっています。

今混沌の騎士団が行っていることは、スペアの勉強会であってこれは黒野でも前から書いていますが初耳なことが多いです。今後ロードマップとして、なんらかの形でスペアの最新の研究の成果を皆さんに発表出来るようにしていこうと思っていますがそれは3年はかかるプロジェクトだと思います。

今後もスペアの情報をたまに報告していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。