奇妙な神社

ようそろ~お越しくださいました。

7月17日は85名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。

ありがとーありがとーです。

神職の方に相談したのですが、黒野、昔不思議な経験をして、それが気になってました。

葬儀派遣の仕事してるときです。自宅葬で葬儀社集合でした。9:00

そして現場は葬儀社からトラック乗って50分位。黒野が当時に住んでた区に移動し、自宅に仏式須弥壇の葬儀祭壇等設置したり色々。そして16時には全部終わっていて、珍しく葬儀社が「あがっていいよ~」と。17時までが定時なんですが、(請求は14時にあがろうが16時にあがろうが17時まで)早上がりだ~と思い公衆電話を探し、事務所に電話しあがります~と。

同じ区だし地図見たら1時間くらい歩けば帰れるじゃんラッキー交通費浮くと。知らない住宅街を抜けて大通りはなくひたすら歩きました。迷ったのかな?と思い地図や番地を確認しながら歩きます。

1時間歩いてもつかない。ここどこ?です。番地ないし、電信柱にも番地表記なし。歩いてる1本道に。そしてそこを歩いていると、目の前すげーーー!!と思う神社にたどり着きました。鳥居があり中央の歩道がつるつるの大理石で左右に玉砂利が敷かれています。玉砂利は真っ白でコケすらない新品な玉砂利でした。手水舎も大理石周囲は白い玉砂利新品でしょこれ!と思い、手と口を清めて参拝に向かうときまず悩んだのが、このツルツルな大理石の上を歩くべきなのか?それとも白い玉砂利の脇を歩くか?です。それくらいツルツルで雨の日絶対すべるんじゃないかな?と思う位黒野が歩いて汚すのもなんだしなぁと思いましたが大理石の上を歩きました。

お賽銭箱も社も何もかも新品でヒノキですかね?薫りが漂っています。社には暖色系の光がともされており大きな祓い串があり、先端に三日月を横にした金の紙で作った飾りと紙垂がありました。脇机もありいったい何を祀っているんだろうな?と思いながらもお賽銭に5円を投じ、祈ります。

「どうか派遣の仕事を辞めれて、もっと稼ぎが良くなりますように。またどうか有名になりますように。」

そして参拝を終え、社務所どこだろう。なんという神社なんだろうと思い社務所を探しますがない。またどっかしらに何々神社と書かれているはずがそれもないし、鳥居これも大理石で作られてますが、誰の寄進でいついつ建立とかも書かれていない。神社の鳥居を潜り抜け礼し、道で途中で買ったペプシコーラーを飲んですごい綺麗な神社だな。そして願いがもしも叶ったら必ずお礼を申し上げに来ねばなるまい。と思い帰路につきます。迷いに迷い2時間あるいたことになります。

そして黒野、葬儀人材派遣会社辞めて企業経営に。そこで大当たりし即、あの神社にいかなきゃ!!となり大体うすぼんやりと帰路は覚えてたので道を歩き探しますこと7日間!通行人に「すみません。道をおたずねしたいのですが神社はどこにありますか?」

みなさん

「神社?さぁこの辺にないですよ。」異口同音

そして当時持ってた(今でもある)ポケット地図を開き、過去の自宅葬した家の近くまで行きそこから歩いて探すことを、休みの日に毎日行い続けること3か月。全く神社にたどり着けない。

で、今日日曜に神職の方にお会いしたので相談しました、どこにお礼の報告をしたらいいのかなぁ?と

自宅近所の神社でいいですよ。と言われましたが。そこでふと。じゃあ神主さん御礼の祝詞奏上をしてください。というと、いいですよ~と。八百万の神々のメッセンジャー認定しましたこの神職の方を。今後神事は全部任そう。

黒野なりにこの不思議な現象をどう説明するか?です

そこでスペアは雪で遭難しかかるとき、小屋と老人を物質化し、友人と小屋で過ごし、老人からワインをもらっています。吹雪止んで馬車に戻り小屋を探すんですがなく、友人とスペアは途方に暮れたとあります。

おそらくこれと同じ現象ではないだろうか?と思います。黒野の潜在意識が働きかけたんだろうとしか思えないです

勿論今も本当にその神社があり黒野の探し方が悪いという説もあります。

しかし数十年ずーっとあの神社にいかなければ。という思いがあり、本職の方に任せれたので、これで良いと思います。

明日19日。

最後までお読みいただきありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。