ようそろ~お越しくださいました。8月4日は104名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。
ありがとーありがとーです。
黒野は剥製を集めてる方と親しかったのですがなぜこんな剥製を作ったのか?
この剥製はこのオーナーさんだけではなく様々な方が手にしてきたということがわかる剥製の入手日と名前が書かれていました。そしてなぜか
没と赤で書かれている日はどうやら持ち主さんの命日です。
その剥製は人魚を作ろうとしたものなことは確かです。人魚を崇拝している島が日本にはありますが、黒野が目にした剥製は可愛らしい人魚ではなく、凶暴な顔をした人魚の剥製でした。よく紹介される人魚の剥製とは違い腕は3本ありました。また大きさは60cm。文政元年と書かれている紙があり江戸時代に作られたのは確かそうですし、箱にも文政元年 人魚と書かれていました。問題なのは没を何で書くのか?です。このオーナーさんが手にする前はこのオーナーさんのおじい様が所有してたそうで、昭和57年5月8日没と書かれてました。そしてオーナーさんのお父さんは平成3年9月18日没。オーナーさん一家がなぜ手にしたかはオーナーさんのおじい様が友人が
恐ろしいので。という理由で託したそうです。なぜ恐ろしいので託したか?はおじい様は幽霊話や祟りなど一切信じない方だったそうです。
これはオーナーさんのお父さんが話してたそうですが人魚が夢に出たらお迎えが来たということです。実際おじい様も、お父さんも人魚の夢を見て入院しそのまま息を引き取ったとのことです。さらにこの人魚の剥製は笑ったりするそうです。
まあほかにもなんというか色々な剥製がありましたが黒野は人魚の剥製を1日オーナーさんの家で観察したいというとぜひと言われ観察しました。
黒野は観察中不思議な体験をしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。